アンジェラ・カーター 『ワイズ・チルドレン』

(太田良子訳 ハヤカワ文庫2001)
Angela Carter Wise Children (1991)

 イギリス文学っていうのは、ちょっと「お地味」ではないかと思うときがある。とくに第二次世界大戦後の小説を読んでいるときに感じる。「華やかさ」というよりは、「暗さ」のほうが目に付く。例えば、アイリス・マードック…なんだか、おどろおどろしい世界が毎回広がっている。ミュリエル・スパーク…ユニークなストーリー展開は面白いが「健康的」という感じはしない。マーガレット・ドラブル…なんだか暗めで、現実的なストーリーが多い。ウィリアム・ゴールディング…とにかく真面目な内容。『蝿の王』の舞台は南海の楽園なのに、登場人物たちの行動が健全ではない。アントニー・バージェス…暗くて、ジメジメしている。有名な『時計仕掛けのオレンジ』のような、あんな印象。キングズリー・エイミス…『ラッキー・ジム』は面白いし、実際、画期的なコミック・ノベルだけれども、でも、あの本のことを「華がある」とは言わないだろう。

 まあ、はっきり言ってしまえば、戦後のイギリス自体に暗くて地味、みたいなところがあるのだ。戦後直後の窮乏時代はともかく、50年代半ばから上に書いたような作家が台頭し、文化的には充実してくるのだれけど、それでも作品の印象はなんだか晴れ晴れしく感じられない。晴れてすっきりという具合ではなく、非常にイギリス的といえばイギリス的な、どんより曇っていて、肌寒いような気配が濃厚。60年代はまだ賑わいのある時期だったが、70年代に入り景気が悪化し、労働争議など、社会情勢が暗くなってくると、作品も寒々しい感じになっていく。マーガレット・ドラブルはこの時期に、その名もまさに、小説『氷河時代』(1977)を発表しているわけだ。また、いつだったかここでとりあげたアントニー・バージェスの『1985年』(1978)も重苦しい70年代の時世を色濃く反映している。

 ところが80年代に入り、世の中の気配が変わってくる。イギリスで1980年代といえば、まさにマーガレット・サッチャー首相の時代(在任1979-1990)のことを指すわけだが、彼女の民営化、自由競争、利益至上主義の政権運営は良くも悪くもイギリス経済を活性化させ、社会は目覚しく生き生きとしてきた。(一方で、サッチャー首相ほど不人気な首相もいないのではと思うが、彼女のことを快く思わない人は、こうした政治の下、貧富の格差の拡大、教育や文化への補助金の削減、治安の悪化、麻薬の蔓延、などを指摘する。)

 世の中が活性化してくると、おもしろいことに、小説に描かれる世界も生き生きと華やいでくる。僕自身は今までアンジェラ・カーターの小説とは疎遠だったが、今回彼女の『ワイズ・チルドレン』を読み、「ああ、これこそ80年代を経た小説だなあ」と思った。陽気で楽しい主人公の語り口もあって、この小説では賑やかで華やかな世界が広がっている。戦後のイギリス小説は地味で嫌いという人には、この本がいいかもしれない。それと、ただ楽しくて面白いだけの本だったら「ちょっとね…」と思ってしまうのだが、アンジェラ・カーターはなかなか読み応えもある。何といっていいかわからないが、いわゆる読書の「深み」というやつ。かつ、作者自身の博識ぶりにも驚かされてしまうのだが、それはこの文庫本に丁寧に附せられた訳者による注を参照すれば明らか。

 ところで、テレビの話。テレビが各家庭にまで普及してくるようになると、今度はテレビの害を説く声が高まってきたのは世の東西を問わないようだ。多くの場合、こんな番組は子供には見せたくないとか、下品で質が良くないとか非難される番組があって、そしてそういう番組に限って視聴率は良かったりするわけだが、小説『ワイズ・チルドレン』にもそういうテレビ番組が登場する。その番組は、題して『バッチリ、ゲンナマ』。司会者であるトリストラム・ハザードの「ハーイ、ようこそ、マネー大好きのみなさん!」という景気の良い掛け声で番組は始まる。そしてこの番組の参加者が、何か好きな番号を言い、巨大なルーレットのような数字のついた車輪をぐるぐる回す。そしてその車輪が止まったとき、矢印のところにさっきの番号が該当していれば成功。この時点で500ポンドがもらえる。これが第一ラウンド。

第二ラウンド。金が二倍になり、三倍になり、あとは矢が指す番号しだいで四倍になるか全額パーになるか。バカみたいに単純。欲望だけのゲーム。カメラは会場の客の大きく見開いた目を映し、開いた口から流れるよだれを映していく。金!濡れ手にアワの金!トリストラムの「バッチリ、ゲンナマ」で優勝すれば、文官俸給表の年金と同額の金がタナボタなのだ。
 トリストラムは、車輪が回り出すとゆっくりとうたうような声で拍子を取り、会場は拍手でそれに応じる。「バッチリ、ゲンナマ!」
 私はこれを見るたびにアタマにくる。(p.86-7)

 お金。現金至上主義。儲かればOK。お金を持っていれば、それでよし。主人公が「アタマにくる」と言っているように否定的な取り上げ方ではあるが、こういう番組が描かれること自体、80年代のイギリス、いかにもサッチャー時代のイギリス、という感じがする。人々から古き良きストイックさが徐々に失われていき、活発な経済活動に裏打ちされた豊かな社会の到来。これが良いか悪いかは別として、この時期を境に、イギリスの小説も少しずつ変わってきたような感じがする。その名も『マネー』という小説が、マーティン・エイミスキングズリー・エイミスの息子)によって発表されたのも、この頃のこと(1984年出版)。ところで、『バッチリ、ゲンナマ』の原題は「Lashings of Lolly」となっていて、生々しくいやらしいニュアンスが出ているあたり、なかなか工夫された訳だなあと感心する。

 『ワイズ・チルドレン』にはもうひとつ80年代らしい特徴があって、それは「歴史」の扱い。多くの人が多くのところであれこれ書いているので、興味のある人はそういうのを参照されたらいいのではないかと思うが、とにかく、この頃のイギリス小説は、なぜか「歴史」のオブセッションにとりつかれる。一人称の主人公「私」が、現在の立場から過去の経緯を振り返っていく…こんなパターンが多い。サルマン・ラシュディーの『真夜中の子供たち』(1981)や、カズオ・イシグロの『日の名残り』(1989)とかがその好例。そしてこの『ワイズ・チルドレン』でも、主人公の女性ドーラ・チャンスが、自らの一族の歴史を振り返っていくというもの。

 そして最後に、シェイクスピア。こういうところは、やっぱりイギリスの小説だなあと思う。『ワイズ・チルドレン』にはシェイクスピアの作品について、明に暗に数多くの引用・言及がなされていて、小説を読むと、自分のシェイクスピアの理解度までが試されるような気がする。とはいえ、この小説はいい読書経験になった。彼女のほかの小説もぜひ読んでみたいと思った…これが僕からの何よりの賛辞ということで。