サイモン・アーミテイジ 「叫び」

The Shout


We went out
into the school yard together, me and the boy
whose name and face


I don't remember. We were testing the range
of the human voice:
he had to shout for all he was worth,


I had to raise an arm
from across the divide to signal back
that the sound had carried.


He called from over the park- I lifted an arm.
Out of bounds,
he yelled from the end of the road,


from the foot of the hill,
from beyond the look-out post of Fretwell's Farm-
I lifted an arm.


He left town, went on to be twenty years dead
with a gunshot hole
in the roof of his mouth, in Western Australia.


Boy with the name and face I don't remember,
you can stop shouting now, I can still hear you.


Simon Armitage



「叫び」


二人いっしょに
校庭へと出た僕とその少年の
名前と顔は


覚えていない。人間の声が届く範囲を
試すところだった。
彼は力のかぎり叫び、


僕は腕を上げ
隔たりを超えて声が届いたことを
合図する。


彼は公園の向こうから声をあげ―僕は腕を上げる。
敷地を出て、
通りの端から彼は叫び、


丘のふもとから、
フレットウェル農園の見張台の向こうから―
僕は腕を上げる。


彼は街から去って、そのまま二十歳で死んだ
西オーストラリアにて
口蓋に銃の穴をうがつことで。


名前も顔も覚えていない君よ、
もう叫ぶのをやめてもいい、僕にはまだ聞こえている。


サイモン・アーミテイジ


 僕たちの声はどこまで届くのだろうか。大声を張り上げても、世の中に響くとは限らない。空気の振動はやがて途絶えてしまう――比喩的にも、物理的にも。1977年に打ち上げられたアメリカの宇宙探査機ボイジャー1号ボイジャー2号には、人間の声なども収録した金属板が取り付けられている。無限ともいえる広大な宇宙で、この探査機が人類以外の何者かに受け取られる可能性はほとんどない。探査機が比較的近い恒星に到達するのにも、約四万年もの時間がかかるのだそうだ。にもかかわらず、人間の声を届けようというこの取り組みにこそ、この詩に通じるところと同じ意味があると僕は思う。

 詩は各連が「短長短」「長短長」の三行の繰り返しで、最後だけ二行からなっている。とくにこの短い部分が印象的で(五行目の「of the human voice」とか)、こういう言葉のすごみは、とても翻訳では伝えることができない。あと、詩としては比較的よくある技法のように思うが、校庭、道路、丘、農園というふうに舞台がどんどん広がっていき、最後には地球の裏側まで到達してしまう、空間の広がりが味わいどころ。

 ところで、名前も顔も思い出せないような人のことなのに、どうしてオーストラリアで自殺したことは知っているのだろう、という疑問がわく。何らかのかたちでその死を伝え聞き、「僕」はその少年のことを思い出したのかもしれない。あるいは、そういう厳密なものではないのかもしれない。小学校時代の友達なんて、僕ももう今では誰が誰だかはっきりしないのだから。