マーガレット・ドラブル 『針の眼』

伊藤礼訳、新潮社 1988)
〔Margaret Drabble The Needle's Eye 1972〕

 ロンドンの北部にあるマズウェル・ヒルという小さな街を、僕は自動車で一度だけ通ったことがある。それは雨の降る暗い夕方で、こういう天気と時間帯ではありがちだけど、道路はかなり渋滞していた。初めて見るマズウェル・ヒルは、商店が立ち並び二階建てバスが行き交うような、ちょっとした街並みのところだった。でも、地下鉄や鉄道の駅が近くにはない。バスか車を利用するしかアクセスのない不便な場所でもある。そしてこの一度だけ訪れたときの印象がいまいちであるせいか、「地味な場所」というイメージが今でもなんとなく付きまとう。

 このマズウェル・ヒルからさらに東に行くと、『針の眼』の主人公ロウズ・ヴァシリオウが生活するアレクサンドラ・パレス近辺一帯に出る。アレクサンドラ・パレスというのは、エクシビジジョン・ホールというか、大展示会場というか、博覧会場というか、まあ、そういう感じの大ホールで、その手の目的のほかに、コンサート会場なんかとしても使われているところ。間違っても、現代的でクールな建物ではない。何かで調べて写真を見てもらうとわかるが、元々は19世紀半ばに建てられた古風な様式の建物で(火災で二度建て直しているが)、ロンドン市内を見渡す丘の上に位置している。『針の眼』の最後のところで、ロウズ、サイモン、エミリー、そして子供たちみんなが、この高台からロンドンを見渡す場面が出てくる。

彼らは建物の外側の高いテラスに出た。冷たい風は凪いで、太陽が照っていた。巨大な黄色い建物が背後に立っていた。気違いじみた、安普請の、朽ちかけた建物だった。子供たちが望遠鏡を覗くから二ペンスくれとせがんだ。サイモンは二ペンス貨を一枚やった。三人の大人は欄干にもたれて景色を眺め、それからパレスの建物を眺めた。奇妙なみすぼらしいコリント式の円柱、漆喰がはげかかっている女像柱、黄色い煉瓦、イタリーの醜い模倣、過度の感傷ぶり、絶望的な通俗さ。また景色を眺める。立ち並ぶ家、視野を遮る塔。空にむかってかすかに光る下水処理場の池。ガス工場、鉄道線路、目のとどくかぎりあらゆる方向に人の生活が満ちていた。(p.357-8)

 ロンドンを一望できる高台といえば僕はハムステッド・ヒースが好きだったが、このアレクサンドラ・パレスからもロンドンの中心地を見渡すことができる。ロンドンを訪れたら、個人的にはぜひとも実際にこういう場所に行って(天気の良い日に)、あの光景を体感してもらえればと思う。とはいえ、なかなかロンドンに行くという機会がすぐにあるわけでもないので、とりあえず代用の写真でも見てみよう。英語版ウィキペディアの「アレクサンドラ・パレス」*1に掲載された画像が、僕はとても良いと思った。これを見て「ああ、ロンドンだ…」と、僕はちょっと感傷に浸ってしまいそうな気もする。ちょうど記事の真ん中くらいに二つの画像が掲載されているが、一つは横長で「A close up panorama of London from Alexandra Palace」というタイトル。もう一つはその下にある「A wide angle panorama of London from Alexandra Palace」という画像。どちらもまず画像をクリックして、さらに開いたそのページから、さらに「Full resolution」をクリックして、一番大きいサイズにして見てもらいたいと思う(ただし、画像がとても大きいので注意、あと、表示するときに、全サイズがディスプレイ上に表示されるよう、勝手に画像を縮小してしまうパソコンも多いので、自分で元のサイズに戻してあげる必要があるかもしれない)。

 これらの光景があまりにも興味深いので、僕はじっくり観察してしまう。まず、横長の画像「A close up panorama」のほうから。これは今年2007年8月10日の夕方に望遠レンズで撮影されたものだそうだ。左からじっくり見ていくと、鉄道の架線が見える。画面手前には、左から中央にかけて、デタッチトハウスとか、セミ・デタッチトハウスと呼ばれる形の家々が道路の両側を敷き詰めるように並んでいる。遠くのほうに、10階建て以上の高層ビルがぽつぽつと立っているが、こういうのはだいたい公営住宅のビル。『針の眼』の346ページでシャーキー夫人が引っ越したのは、おそらくこういう高層アパート。小説でもエレベーターが故障してしまうことが言及されているが、この手の建物は60年代や70年代、低所得者向きにたくさん建てられ、中流階級の人々にはあまり人気がない。昨今の日本では高層マンションがたくさん建てられているが、ああいう住宅を見ると、僕はロンドンのすさんだ高層アパートをどうしても思い出してしまう。

 左端からスタートして、全体の八分の一くらいのところまでくると、画面の中央遠くに、あのミレニアム・ドームが見える。懐かしい。ミレニアム・ドームでの体験については、またいずれの機会に。四分の一くらいのところで、カナリー・ウォーフのほうの高層ビル群が見える。これは金融関係を始めとする新しいオフィス街。手前は相変わらずのイギリスらしい住宅の並び。画面中央くらいから、昔からの金融街シティの高層ビルが姿を時折現す。セント・ポール寺院はてっぺんだけが木々の向こうに見えている。右側四分の一くらいのところで、同じく木々の向こうから大観覧車「ロンドン・アイ」が上のほうだけ姿を見せている。右側八分の一くらいで、いったん画面が全部木々に隠れるが、そのさらに右側に、もう一度住宅の風景が見える。こういう木々に囲まれた雰囲気はどちらかといえば高級住宅地のイメージ。左側で見た家々のように、無機質に住宅が立ち並ぶ感じとは異なっている。上のほうには塔のようなものが見えるが、これがBTタワー。画面一番右側の丘の上の建物はおそらく病院。

 なんだかロンドン名所案内みたいになってしまったが、ウィキペディアの画像のもう一枚(「A wide angle panorama」)のほうも見る価値あり。これまた先月に撮影されたばかりのアレクサンドラ・パレスからのパノラマだが、イギリスの夏の夕方の雰囲気がとても伝わってくる。アレクサンドラ・パレスの建物が立つ高台から撮影されていて、最初に見た写真と同じ方角に向かっている。ただし、こちらは望遠レンズではなくて、人間の目で見える光景にほぼ等しい。画像をクリックして、画像を元のサイズで見てみると、そこに写された人々の姿が鮮明になってくる。みんな何をしているのか…そう、芝生の上で、夏の夕方を思い思いにくつろいでいるのだ。ちなみに、サマータイムが実施されているせいもあって、このくらいの明るさでも夕方六時とかくらいではないかと思う。いいなあ、こういうの。僕もこういうところに住んでいたんだよなあ。記憶は日々ますます薄らいでいくけれども。

 ということで、『針の眼』とはだいぶ関係ない流れになってしまったけど、この二枚の画像をじっくり見たあとで、もう一度、上の引用を読み返してもらえたら、と思っている。とても重要な違いだが、画像は夏なのに、『針の眼』で引用される部分の季節は冬だ。だから、冷たい風が吹いたりやんだりしている。でも、太陽が照りだして、三人の大人と子供たちが見下ろしている光景は、この画像の光景ときっとそんなに変わらないだろうと想像する。引用で語られるように、アレクサンドラ・パレスは必ずしも美しい建物ではない。そしてこの丘の上から見下ろす光景も、必ずしも美しいものとはいえない。鉄道の線路や架線、立ち並ぶ家々、遠くにランダムに立つ高層ビル。引用にあったように、まさに、目のとどくかぎりあらゆる方向に人の生活、俗っぽくて醜悪な人間の生活が満ちている。でも、実際に登場人物たちと同じように、アレクサンドラ・パレスからのこの光景を見れば、なんだかこんなロンドンでも「いとおしさ」みたいなものが伝わってこないだろうか。豊かな人も貧しい人も、上品な人も通俗的な人も、あらゆる人々を抱擁して、眼下に広がるロンドン。

 貧しく生活する人々がいる一方で、豊かなミドルクラスの人々の生活はこれでよいのだろうか…『針の眼』は、このロンドンを舞台に、大まかにはこんなテーマを抱えている小説だと思う。小説のもう一人の主人公である弁護士のサイモンは、マズウェル・ヒルから少し南西に行ったところにあるハムステッドに住んでいるが、ここは名高い高級住宅地。ちなみに、さらにもう少し南西に行くとキルバーンという地域に出るが、ここは治安があまり良くないことで知られているところ(最近は良くなってきたのだろうか)。でも、キルバーンのすぐ南のほうは、セント・ジョンズウッドの高級住宅街。ロンドンはこんなふうに、ちょっと位置の違いで、住む人々の階層、安全などが大きく違ってくる。作者ドラブルは、基本的にミドルクラスに属する登場人物たち、とくにロウズとサイモンを、あえて貧しい階層の生活と接点を持たせることで、ミドルクラスの生活自体を見つめなおそうとしているようだ。

 小説はとても地味で、淡々と読み進んでいくような感じに終始する。ロウズ・ヴァシリオウ、サイモン・カミッシュをはじめとするキャラクターたちの生い立ち、経歴、結婚の経緯などが、丁寧に、つぶさに語られる。ロウズの三人の子供たちが、離婚した夫に奪い取られてしまうのではないかという点が、一応この小説のストーリーを進めていくサスペンスになっているが、劇的なことは何も起こらない。ロウズが最終的に前夫とよりを戻し、サイモンが不仲の妻との関係を改善させるという展開はちょっと安易で説得力に欠け、きっとこの辺りがこの小説の弱点かもしれない。ロウズとサイモンの恋心は、いったいどうなってしまったのだろうと思う。サイモンはロウズに「私が独身だったら、あなたに結婚を申し込んだでしょうね」とまで語ったのに。とはいえ、なかなか良い本を読んだという感想。今まで読んできたマーガレット・ドラブルの作品とは、だいぶ印象が異なり、新鮮だった。