ヴォネガット語録

ヒューマニスト

 彼はユーモア溢れるヒューマニスト。そして何よりも、思いやりのあるやさしい人だ。

 「わたしはただ、恐ろしい苦難から抜け出られない人がたくさんいることを知っている。だから、人間が苦しみから抜け出すのはわけないと思っている連中を見ると、腹が立ってきます。ある人々は、他人からの大きな助けをほんとうに必要としている。わたしはそう思います。愚かな人々、頭の弱い人々のことも心配です。だれかがこういう人たちの面倒を見てあげなくてはいけない。自分だけの力ではこの世に抗いきれないのですから」
(「自己変革は可能か――プレイボーイ・インタビュー」『ヴォネガット、大いに語る』p.314)

 「登場人物を完全に抜きさしならぬ状況におくのは、アメリカ人の作家気質に反することですが、人生にはそんな状況がざらにあります。知性が十分働かないためにひどい苦境に陥って、そこから絶対に抜け出せない人々、特に阿呆呼ばわりされている人々がいます。だのにこの文化社会には、人はいつでも自分の問題を解決できる、という期待が広まっている。それがわたしには、恐ろしくもあり、滑稽でもある。もうちょっとだけエネルギーがあれば、もうちょっとだけファイトがあれば、問題はすぐ解決するのに、という考えがひそんでいるのです。しかしこれはあまりにも事実に反するので、わたしは泣きたくなる――あるいは笑いだしたくなる」
(同上pp.317-8)

 小説『ホーカス・ポーカス』の主人公は、ユージン・デブズ・ハートキというが、この名前は、かつてアメリカ社会党(こんな政党があったのだ…アメリカ史をよく知らない僕には、まだまだ学ぶべきことが多い)の著名メンバーの一人だったユージン・デブズに由来する。

 「いまでもわたしは講演のたびに、インディアナ州テレホートの出身で、社会党から合衆国大統領に五度も立候補した故ユージン・デブズ(一八五五−一九二六)の言葉を引用する。
 『下級階級が存在するかぎり、わたしはそれに属する。犯罪分子が存在するかぎり、わたしはそれに属する。刑務所に囚人が存在するかぎり、わたしは自由ではない』
 最近になって、わたしはデブズのの言葉を引用するとき、これをまじめに受け取ってほしい、と前おきするのが賢明であることに気づいた。でないと、大半の聴衆が笑いだす。べつに悪意があるわけではない。わたしが滑稽なことをいうのを知っていて、好意的に反応してくれるのだ。しかし、これはいまの時代を象徴している。こうした<山上の説教>の感動的な反響が、かびの生えた、まったく信用できないたわごとに受けとられてしまう」
(『タイムクエイク』p.152-3)

 こういう意見が表明できるヴォネガットを、僕は素直に立派な人だと感じてしまう。

平和思想

 彼の言葉で言えば「まだ子供に毛の生えた程度の年齢」で、彼は第二次世界大戦に参戦し、ドイツで捕虜となる。そしてそのときのドレスデン大空襲の体験が、傑作『スローターハウス5』として描かれることになる。プレイボーイ誌のインタビューアーは、彼に「ドレスデン体験はあなたにどんな瞑想の材料を与えてくれたでしょう?」と質問する。

 「(ヴォネガットが戦友のオヘアに)ドレスデンの体験はきみにとってどういう意味を持っているかとたずねたら、彼は、自分の国の政府がないを言ってももう信じない、と言っていました。われわれの世代の者は、祖国の政府の言うことをまともに信じたものです。――あまり政府からだまされた経験がありませんから。政府がだまさなかったひとつの理由は、わたしたちの子供のころ戦争がなかったことです。おかげで基本的には真実を告げられていた。わが国の政府が国民にやたらと手のこんだうそをつく理由はなかったわけです。ところが、戦時中の政府はどうしても、いろいろな理由でうそつき政府になってしまう。ひとつには敵を混乱させるためです。わが国が参戦したとき、わたしたちはアメリカの政府が生命を尊重し、民間人を傷つけぬよう細心の注意を払っていると思っていました。そこでドレスデンですが、これは戦術的には価値のない、民間人の都市でした。ところがこの都市を連合軍は、燃えてドロドロに融けてしまうまで爆撃をした。そして、そのことに関してうそをついた。こうしたことはみな、わたしたちを唖然とさせました」
(「自己変革は可能か」p.325)

 日本の原爆投下についても、ヴォネガットはあちこちで語っている:

 「わたしはこのすばらしい本の第2章に、広島の原子爆弾投下五十周年の記念式典がシカゴ大学のチャペルで行われたことを書いた。あのときのわたしは、広島の原爆が自分の命を救ってくれたという、友人のウィリアム・スタイロンの言葉は尊重に値する、といった。スタイロンが合衆国海兵隊の兵士として日本列島上陸の訓練を受けているとき、あの爆弾が投下されたのだ。
 しかし、わたしは、アメリカの民主主義政府が、非武装の男女と子供たちに対する陋劣きわまりない、殺人狂的で人種差別的な、ヤフーまるだしの殺人、まったく軍事的常識を欠いた殺人をなしうることを証明したひとつの単語を知っています、とつけ加えずにはいられなかった。わたしはその単語を口にした。それは外国語の単語だった。その単語はナガサキという」
(『タイムクエイク』p.205)

 最近、ふたたび銃のことが議論を呼んでいるが、彼ははっきり言っている。

 「わたしたちはあまりにも武器を信用しているので、多くのアメリカ人の家庭で鉄砲がまるでペットのように大事にされています。あまりにも多くのアメリカ人が小銃や拳銃に親愛の情を寄せている。銃はわれわれをゾッとさせるのが当たり前なのに。銃は人殺し機械です。それ以外のなにものでもありません。わたしたちは、癌や青酸カリや電気椅子を恐れるのと同じくらい、銃を恐れるべきです」
(「ホイートン大学図書館再建の記念講演」『ヴォネガット、大いに語る』p.269)

言及された戯曲

 僕はアメリカ文学をずっとなんとなく敬遠してきてしまい、知らないことがとても多い。学生時代の「米文学史」の授業は、かなり有名な先生だったのだけれども、興味はまったくゼロ。ホーソンの『緋文字』は読んでみたけれど、なるほどね、くらいの感想。今でも、ピューリタニズムとか、超越主義っていったい何のこと?って具合。でも、ヴォネガットが「好きだ」と評していることは、きっと印象的な内容を持つものに違いないと想像する。

 「さて、いまのわたしは、もうほとんどだれも知らないか、それとも忘れてしまった芝居のさまざまな部分をとりとめもなく思いだしている。たとえば〔ソートン・ワイルダーの〕『わが町』の墓地の場面とか、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』のポーカー場面とか、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』の、あの悲しいまでに平凡で、不器用で、気高いアメリカ人ウィリー・ローマンが自殺したあと、その妻がいう言葉などを。
 その妻は、またこんなこともいう――<だいじにしてあげなければ>
 『欲望という名の電車』で、ブランチ・デュボアは、妹の夫にレイプされたあと、精神病院へ連れていかれるときにこういう。<わたくしはいつも見ず知らずの人たちの親切に支えられてきました>
 こうした言葉、こうした状況、こうした人びとは、わたしにとって青年期の情緒的、倫理的な標識になり、一九九六年夏のいまもそこにある。それははじめて劇場でそれらの場面を見聞きしたとき、おなじように夢中になった仲間の人間たちに囲まれて、金縛りになるほど魅惑されたからだ」
(『タイムクエイク』p.39)

 ソートン・ワイルダー『わが町』、テネシー・ウィリアムズ欲望という名の電車』、アーサー・ミラー『サラリーマンの死』、みんな二十世紀アメリカ演劇の傑作ばかり。ヴォネガットが印象に残っている場面は、いったいどんな感じなのだろうと思う。読んでみたい(あるいは観てみたい)という気分にかられる。

 こうして、2007年4月10日、84歳で愛すべきカート・ヴォネガットは亡くなった(so it goes…そういうものだ)わけだが、彼の言葉から僕はたくさんの刺激を受けてきて、そして、これからも受け続けるのだろうと思う。


カート・ヴォネガットヴォネガット、大いに語る』(飛田茂雄訳、サンリオ文庫、株式会社サンリオ1984

カート・ヴォネガット『タイムクエイク』(浅倉久志訳、早川書房1998)