サイモン・アーミテージ編 『ショート&スイート 101の超短編詩』

〔Simon Armitage(ed.) Short and Sweet - 101 Very Short Poems (Faber, 1999)〕

語数を減らして

 ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』の舞台はイギリスで、登場する人々は普通に耳にするような英語を話す。しかし「偉大な兄弟」が率いる全体主義政権は、思想統制を進めるために旧来の英語(旧語法…オールド・スピーク)から新しい英語(新語法…ニュー・スピーク)へと言語の改革していることが描かれている。その目的は、全体主義的な発想にそぐわない不必要な語を廃棄すること、つまり、「正義」「自由」「道徳」といった単語を無くすことにあり、さらに、そのような思考や発想そのものさえをも消し去ることにあるという。『一九八四年』の舞台は西暦1984年に設定されているが、新語法は2050年頃の完成にむけて着々と準備が続けれており、今や「新語法こそ年毎に語彙が減っていく世界唯一の言語」なのだと彼らは表明している。

 でも、「年毎に単語は漸減していくし、意識の範囲も縮小していくのだ」というふうに、単純にうまくいくものだろうか。語彙が減れば人間の思考範囲も小さくなるという、シンプルな比例関係は成り立たないような気がする。少ない言葉数でも、含蓄に富んだ表現とか、ニュアンスに溢れる表現というものがあったりするのだから。『一九八四年』の全体主義政権は、言葉の持つこのような、微妙な、人間的な部分も抹殺することで、人間の発想とか人間性そのものを抹殺しようとしているが、よく読んでみると、彼らが推し進めるニュー・スピークもまた、こういう「言外の意」みたいなところに依存しているところもある。

 言葉の数が少なくても味わいに富んだ表現があるのだということを観察するには、この『ショート&スイート』という詩のアンソロジーを読んでみるのもいいかもしれない。この本は現代イギリスを代表する詩人の一人、サイモン・アーミテージが編んだもの。彼は「very short poems」という基準として、全体で十三行以下と定め、それを、行の多いもの、つまり十三行の詩から順に並べた。だからページが進むにつれてどんどん行の少ない作品となっていく。こういう調子なので、最後から二番目に紹介されているPeter Readingの詩はたった一行になる:

Found


These sleeping tablets may cause drowsiness.


「発見」


この睡眠薬は眠気を引き起こす恐れがあります。


 この詩については、なるほど…なんて妙に納得したりしないで、「はぁ〜!?」って思う反応が素直ではなかろうか。ボケとツッコミの漫才だったら、ここは思いっきり突っ込まれるところだろう。とまあ、ともかく、日本では俳句や川柳があって、このように短い韻文への抵抗はあんまりないし、理解しやすいのではないかと思う。逆に、長編詩のほうが馴染みがなくて、読むのが大変だったりする。イギリス文学史をたどれば、『ベオウルフ』も『カンタベリー物語』も『失楽園』もみんな韻文の形式なので、「大長編詩」というのは普通なのだろうが、僕にとってはできれば遠慮させていただきたいところ。(これもつきつめれば、ヨーロッパの「古典文学」つまり、ギリシャ・ローマ時代の文学のメインが長編詩だったことに行き着いてしまうけど。)もし日本にも、『万葉集』にあるような「長歌」のジャンルが生き残っていたら、もう少しはこういうものにも親しみが感じられたかもしれない。

関係各位

To Whom It May Concern


This poem about ice cream
has nothing to do with government,
with riot, with any political scheame.


It is a poem about ice cream. You see?
About how you might stroll into a shop
and ask: One Strawberry Split. One Mivvi.


What did I tell you? No one will die.
No licking tongues will melt like candle wax.
This is a poem about ice cream. Do not cry.


Andrew Motion


「関係各位」


これはアイスクリームについての詩であって
政府、暴動、その他の政治的活動とは
一切関係がありません。


アイスクリームについての詩なんですよ、いいですか。
お店に立ち寄って、どんなふうに注文するかについての。
「イチゴアイスひとつ」とか「ミッヴィーアイスひとつ」とか。


わたしが何と言ったのかって? 誰も死なないのです。
舐める舌は、ロウソクのロウのようには溶けないのです。
これはアイスクリームについての詩なのです。泣かないように。


アンドルー・モーション


 収録された作品のひとつ。アンドルー・モーションは現在の桂冠詩人だが、こういう親しみやすい詩を作っている。タイトルの「To Whom It May Concern」というフレーズは、よく、回覧書類の一番上に書いてあったりする決まり文句(うちの会社の文書にも書いてあったような気がする)。なんでこんなタイトルなの?という疑問は、この詩を読むにあたっては、考えるに値するポイントだろう。あと、七行目の「No one will die. 」という部分。誰だっていつかは死ぬという世の中の事実に反している…ということは、作者はどういうつもりで書いているのか。誰か特定の人々が「死なないだろう」という意味なのか。さらに、この詩は「アイスクリームについての詩」と主張しているわりには、アイスクリームとは縁がない「死」とか、「泣くな」なんてこと書いてある。ということは、「アイスクリームの詩」であるという宣言を素直に捉えない読み方をしてもいいかもしれない。

 だから仮に、「You see?」なんて確かめられても反発し、この詩にはno、not、 nothingという語が目立つから、そういうところをひねくれて読んでみると、この詩はアイスクリームとは関係なく、むしろ政府や暴動に関係あるのかもしれない。そして、人間はみないずれ死ぬのであり、言葉(tongues=舌)のみが消え去らずに残り、みんな泣け、と語っているのかもしれない。アイスは甘くておいしいが、すぐに溶け出してしまうもろいもの。甘くも短い、はなかない人生の象徴…だろうか。そういえば、このアンソロジーのタイトルは「Short and Sweet」だ。

史上(詩上)最短

 今回のブログの最後には、101編収められたこの詩集の、101番目、つまり一番最後の詩を紹介したい。Don Patersonによる次のような詩。じっくりご鑑賞いただきたい。ちなみに、どんなに目を凝らしても詩のタイトルだけしか見つからないかもしれないが、別に僕がパソコンに入力し忘れたわけではない。

On Going to Meet a Zen Master in the Kyushu Mountains and Not Finding Him





「禅師を尋ねて九州山脈に行き、その彼が見つからなかったとき」