富山太佳夫『文化と精読 新しい文学入門』

名古屋大学出版会2003)

多様な解釈

 先日の新聞に、こんな記事が載っていた:

「人生ゲーム」も「脱お金」 米製造元、新版発売へ

 日本でも人気の「人生ゲーム」をつくる米ハズブロ社は、紙幣にかわっておもちゃのVISAカードで支払い、大金持ちになるかどうかではなく、人生の様々な達成感をポイントに変換して勝敗を決める「人生ゲーム 紆余曲折(うよきょくせつ)」を8月に発売すると発表した。「人生、山あり谷あり」から「人生いろいろ」への転回になりそうだ。
 ゲームは、カード支払いを読み取り、人生ポイントを蓄積して、サイコロの役も果たす機械「ライフポッド」を中心に展開する。おなじみのルーレット方式も変わることになる。参加者は「生きる=冒険」「愛する=家族」「学ぶ=大学」「稼ぐ=キャリア」の四つのコースに分かれて人生航路にこぎ出す。旅行に出かけることも冒険も、稼いだお金も人生ポイントに変換され、ポイントの多さで勝者が決まる。
 ハズブロ社のゲーム広報担当は「人生ゲームは実社会に合わせて変化してきた。今日のライフスタイルに合わせて支払いをカードにし、成功が必ずしもお金では測れないという価値観の多様化も考慮した」と話す。(朝日新聞3月21日)

 価値観の多様化…もうかれこれ30年くらい前から唱えられているキーワードだと思うのだが、ついに「人生ゲーム」のルールまでもを変化させるに至った。もちろん実社会はもっと進んでいる。人生が成功と失敗という単純な二項対立で色分けできるなんて考える人は、もはや現代的なデリカシーに欠けていると思う。また「人生ポイント」を貯めるという点、つまり、何かしらの数量の多寡で優劣を競うという点も時代遅れだろう。エコロジーの概念が浸透した現在、嵩が少ないほど良いとされるものはたくさんある。力んで「人生航路にこぎ出す」のではなく、家でじっとしていたほうが、交通機関のCO2排出量を減らせるので地球環境保護には良いかもしれない。ただまあ、「人生ゲーム」はゲームだから勝者敗者を決める必要があるわけで、こういう現代的な価値観をそのまま直截的に反映させた「人生ゲーム」では、ゲームにならなくなってしまうのだろう。(そもそも「人生」はゲームなのか、ゲームたる対象としてふさわしいのか、という疑問につきあたる。)

 社会がこんな具合なのだから、ある一冊の本があったとき、それを読む人の反応も多様化して当然なわけだ。「この本はこのように解釈しなければならない」とか、「この表現はこのように理解しなければならない」というような教条的・画一的な価値判断は存在しなくなっている。にもかかわらず、国語のテストで「傍線部Aについて、このときの主人公の気持ちをもっともよく表しているのは、次の①〜④のうちのどれか」などという問題がいまだに出題されているのだろうと思うと不思議な感じがする。こうした問いでは、解答者は、作題者が解釈した「主人公の気持ち」を推測しなければならない。つまり厳密に言えば、作題者が誰で、どんな観点からテクスト解釈をする人なのか知らなければこの問いには答えられないはずだ。解答者はこうやって、知らず知らずのうちに、出題者の権威とイデオロギーに従わされていく。そして学校では「出題者」とは一体何者で、そしてそれがなぜ権威を持っているのか、説明してくれる先生など、どこにもいない。

 「傍線部Aについて、このときの主人公の気持ちをもっともよく表しているのは、次のうちのどれか」という問題で、「作者の考える」この主人公の気持ち、というように「作者」に偽りの権威を背負い込ませて、それで問題を解かせようという場合もある。でも、作者が読者にテクストの読み方を縛る権限はどこにもない。これはもう何十年も前に、ロラン・バルト(「作者の死」)やミシェル・フーコー(「作者とは何か」)が提唱していることだったような気がする。

 いずれにせよ、あるテクストを「こう読め」と読み方を強制してくることは、読者を権威やイデオロギーに盲目的に従わせてしまうことにつながる。多様な価値観を許容する現代にはふさわしくないだろう。読み方の強制は、国語のテストに限らず、テクストと相対する場所ではどこでも起こる事情のようで、今回読んだ『文化と精読』によれば、日本の英米文学研究にもこのあたりの事例はあるらしい:

わが国の英米文学研究の場で繰り返し言われてきたのは、理論や方法では文学はわからないということであった。理論で文学作品を切ってはならないという、少し考えてみれば意味不明の隠喩があたかも適切なアドヴァイスであるかのように通用してきたのである。それでは何が推奨されるのかと言えば、辞書を片手にして一語ずつ丹念に読むということであった。その結果として、一年かけてひとつの作品を読むという教育法が今でも各大学の英文科に堂々と生きのびていることは周知の事実であろう。私はこれが有効な読み方のひとつであることを否定するつもりはないが、あくまでもそれはひとつの読み方以上のものではない。問題はこのひとつの読み方にすぎないものを唯一至上の方法として強制するときに生ずる。それが外国語の作品を読む有効な方法のひとつであることは間違いないが、同時にそれは教える側の経験からくる優位性を保障するためのシステムともなってしまうのである。この最も確実にみえる読みの場は動きの取れない権力の場にもなってしまう。理論では文学がわからないという言い方は、文学を哲学や社会学や心理学から切り離してしまうだけではなくて、読みの場における権力の関係を固定するものとしても機能しているのだ。(pp.30-1)

 教師対生徒という権力構造が発生やすい環境下で文学を勉強するのではなく、ただ気楽に気分転換として本を読む分には、別に何の理論も知らなくていいだろう。ところが、実際のところ、世の中はさまざまな情報に溢れている。小説を読むだけでなく、ノンフィクションの本を読み、新聞・雑誌を読み、メールを読む。テレビ・ラジオ・映画・インターネット…。それぞれが情報を伝達するテクストであって、もしかすると、画一的な権威・権力を情報受信者に暗に振りかざそうとしているかもしれない。そのとき、現代の批評理論の動向を感じ取り、多様な読み方と価値観の存在を知っておくことは、決して損にはならないと思う。そして、イギリス文学に興味がある人なら、この『文化と精読』は、本来文学の学生向けの本だけれども、この目的にはとても良さそうだ。少なくても僕にとってはとてもおもしろかった。

メタ・レベルの問いかけ

 ただ単に「おもしろかった」では無責任かもしれないので(いつも無責任だけど)、とくに「なるほど」と思った箇所を簡単に書いてみたい。話は変わるけれども、<イギリス文学史>と言ったら、どういう内容が頭に浮かぶだろうか。古英語時代の『ベオウルフ』から始まり、チョーサーの『カンタベリー物語』を経てシェイクスピアの時代が来て…という、連綿とつらなる作品や思想の歴史が思い浮かぶと思う。でも、<イギリス文学史>という言葉をもう一度よく見てほしい。この単語は「イギリス文学という学問の歴史」という意味にもとれる。イギリス文学という学問は、いつ、どこから始まり、どのように発展してきたのか。実際のところ、学問としてのイギリス文学の歴史は短く、本格的に始まったのは、20世紀に入ってからだ。こういうふうに考えてみたとき、最初の意味での<イギリス文学史>はイギリス文学という学問の一分野であるから、二番目の意味の<イギリス文学史>はメタ・レベルでの歴史ということになる。

 では、<イギリス小説成立史>だったらどうだろう。まずは、どの作品から小説というジャンルが成立したのか。デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719)からか。あるいはリチャードソンの『パメラ』(1740)から?…普通だったら、こういう作品を軸に、当時の社会的状況を踏まえながら考察していく。ところが、『文化と精読』の「最初は女」というエッセイに、ホーマー・オウベド・ブラウンという学者のユニークな見解が紹介されている。彼は小説の成立という事柄を追求すること自体をメタ・レベルから捉えなおす:

 彼(ブラウン)が問おうとするのは、イギリスにおいて小説はいつ、どのようなかたちで成立したかということではなく、そのような問い自体がいつから可能になったかということである。小説の成立史を問うメタ・レベルの<理論的な>問い自体が歴史の中の特定の状況によって規定されるものだという認識が、そこにはある。……そもそも小説というジャンルの成立時点では、その枠組みが分節化されていない以上、小説というジャンルの内も外も区別できなかったはずであるのに、小説の成立史はのちに成立したジャンルによって選択された作品間の差異を論ずることによって、あたかも小説というジャンルの成立を論じたかのように錯覚してしまうことになる。(pp.165-6)

 だからブラウンによれば、リチャードソンとかの18世紀半ばの散文物語は「このジャンルがみずからの制度としての歴史をあとから正当化しようとしたときにその先駆形態となる、より現代に近い文化の制度、文学の制度によって小説と名づけられることになる」(p.167)ということだ。つまり富山氏の言葉で要約すれば、「小説の成立、小説の起源とは……小説というジャンルが事後的に要求する神話」(p.166)なのだ。このように、小説とはどのように成立したのかという問いかけに対して、一歩下がり、その問いかけ自体の性質を考える発想、僕にとってはとてもおもしろいと思うのだけれども、どうだろう。つまらない?それに、こういうものの見方は何かと応用も利くはず。