イェイツ「サリーガーデンのほとりで」

今回はテレビを観た話。1月28日夜9時から教育テレビで、いつもはよく「N響アワー」をやっている時間なのだが、「思い出の名演奏」と題した番組を放映した。そして、とくにこの夜はイギリスの20世紀を代表する作曲家、ベンジャミン・ブリテンと、彼のパートナーでテノール歌手のピーター・ピアーズが登場するということで楽しみにしていた。

 この演奏の模様は、1956年、今から51年前に来日した際に収録されたものだという。(曲と曲の間に挟みこまれるアナウンサーの声が、なんとも古めかしくていい味を出していた…同じように話されている日本語も、50年くらい経過しているものだと、微妙に違いが出てくるところが興味深い。)ピアーズが独唱し、ブリテンがピアノ伴奏するという形式で、全部で6曲が放送された。動きのある本人たちの様子なんて見られる機会はなかなかない。30分あまりの放送時間全部を興味深く拝見した。

 ブリテン自身の作曲による「ミケランジェロの7つのソネット 作品22」などがやっぱりよかったけれど、詩情というか、味わい深さという点では、やっぱり「サリーガーデンのほとりで」が一番だった。これはW.B.イェイツが詩をつけたアイルランド民謡で、ブリテンが編曲したもの。

Down by the Salley Gardens


Down by the salley gardens my love and I did meet;
She passed the salley gardens with little snow-white feet.
She bid me take love easy, as the leaves grow on the tree;
But I, being young and foolish, with her did not agree.


In a field by the river my love and I did stand,
And on my leaning shoulder she laid her snow-white hand.
She bid me take life easy, as the grass grows on the weirs;
But I was young and foolish, and now am full of tears.
 


「柳の庭のほとりで」


柳の庭のあの場所で、愛する人と会っていた
小さな白い足をして、彼女は庭をやってくる
「愛は気楽にいきましょう、木の葉が伸びるようにね」と
若く愚かであったので、僕は彼女にうなずけない


川のほとりの草原で、愛する人と立っていた
寄り添う僕の肩の上、彼女は白い手をのせた
「気楽に生きていきましょう、岸辺の草のようにね」と
若くて愚かなあの僕は、今でも涙が溢れ出る


※イェイツの詩集『The Wanderings of Oisin and Other Poems』(1889)に収録されている

 「サリーガーデン」というふうに訳したらいいか、それとも意味を考えて「柳の庭」としたらいいか。ガーデンズ(gardens)というのは、住所を示す「通り」の名前を表すものとしては一般的なので(例えばstreet、road、close、mews、square…などと同じように通りの名前を示すのに使われる)、「サリーガーデンズ」という道路の名前があって、住所を示しているとも考えられなくはない。(ただし、アイルランドで実際にこういう地名があるかどうかは知らない。)その場合、この詩は「サリーガーデンズ通りを行ったところで、彼女と出会った…」みたいな翻訳になる。

 でもまあ、この問題はどっちでもどうでもいいかと思って。僕は七五調にするために強引に訳したけれども。この詩の場合、音読ではなんだかピンとこなくて、ぜひとも実際に曲を聴いてもらいたいところ。下のリンク先は民謡バージョンの演奏で、実際のブリテンによる編曲はもうちょっと現代的。


※「Down By the Salley Gardens」のメロディー:http://ingeb.org/songs/sallygar.html
このサイトの左にある「Melody」というところをクリックすると聴けます。