ジョージ・オーウェル 『一杯のおいしい紅茶』

小野寺健編訳、朔北社1995)

オーウェルのイギリス人気質

 こういうブログでも、あるいは新聞や雑誌とか、どのような機会でもいいのだが、もしあなたがエッセイストだったとして、何でもいいから好きなことを書いてくださいと頼まれたら、どんなことを書くだろうか。英語で言うgeneral readerのような、不特定多数に向けての発信で、本当に何を書いてもかまわないという場合。こんなときは、みんな自分の好きなこと、自分にとって興味のあることテーマとして選ぶのが自然だろう。果物のみかんが好きな僕としては、今時分の季節柄もあり、「一個のおいしいみかん」というタイトルで、なんだか長々と書けそうな気がする。

 だから、ロンドンの代表的な夕刊紙『イヴニング・スタンダード』の1946年1月12日号に「一杯のおいしい紅茶」という記事を寄せたジョージ・オーウェルが、おそらく紅茶大好き人間だったのだろうという推測は、その内容を読まなくても間違ってはいまい。そして実際に読んでみれば、彼の十一項目にも及ぶ「紅茶はかくあるべき」というこだわりようを知ることになる。不思議なことに、この記事を読むと本当においしい紅茶が飲みたくなってしまうのだが、この記事が書かれた当時、つまり、終戦直後の窮乏時代の寒い冬に、人々がおいしい紅茶に焦がれていた世相が伝わってくるせいかもしれない。もちろん、オーウェルの書き方が素晴らしいせいもあるのだろう。ということで、なんだか紅茶が飲みたくなってきた。余談になってしまうけど、僕にとってのおいしい紅茶は、ダージリンのファーストフラッシュとかセカンドフラッシュで、草というか、葉っぱというか、そういう植物の香りがしっかり残るものをやや濃い目に入れて飲みたい。別に砂糖やミルクはいらない。おいしい紅茶は、おいしい緑茶の感覚に近いと僕は思う。

 紅茶についての他に、「水月」という名前のパブについて書いた記事も同紙に寄せていて、これもこの本に収録されている。パブ「水月」は実は存在していなくて、オーウェルの想像上のものなのだが、この「水月」の描写を通して今度は「パブはかくあるべし」という持論を展開している。ヴィクトリア朝の雰囲気、本物の暖炉、騒がしくないお客、感じの良いウェイトレス、おいしい食事、陶器のマグカップで供されるうまいビール(とくにこれは同感。ビアジョッキは陶器のほうが良い)、中庭があって家族全員で楽しめる環境…など。「水月」は想像上のパブだから、実際にはこんな素敵なところはないのだけれども、少なくともオーウェルがパブ嫌いではなく、そしてビール嫌いでもないということは、十分に察することができる。パブが好きでビールが好きだからこそ、こんなパブがあったらいいだろうなと期待するのだ。

 「ガラクタ屋」という記事も「イヴニング・スタンダード」に掲載され、この本に収録された。ガラクタ屋、つまり現地で言う「ジャンク・ショップ」のことなのだが、つまり「骨董品店」というようなこじゃれたお店ではなくて、汚くて、ごちゃごちゃ雑然と多種多様な古物が並べられ、値段もいい加減、お店の人もまったく商売っ気なし、こんなお店を続けていて食べていけるのか…みたいな、そういうお店のこと。今の日本でいえば、何でも扱うリサイクルショップを、うっすら埃をかぶせて、薄汚く散らかしたようなイメージ、といったところだろうか。オーウェルはこういうジャンク・ショップが好きで、近くを通りかかると、ついつい立ち寄って中をのぞいてしまうという。こういう気持ちは、誰しもあるものだろう。つんとすまして「僕の身近にはリサイクルショップなんてないから、こんな経験ないよ」と書きたいところだが、よくよく考えてみると、ブックオフの近くを通りかかると、別に買うつもりはなくても、何か掘り出し物がないかなという気分で、ついぶらりと立ち寄ってしまう自分がいることに気がつく。「ジャンク・ショップを楽しむには、何かを買うどころか、買いたいと思う必要さえもない」とオーウェルは書いているが、「ジャンク・ショップ」のところを「ブックオフ」に書き換えれば、これはまったく同じ心境ではないかと思う。

 また、このエッセイ集を読むと、オーウェルが細やかな自然観察をする人物だったこともわかる。天候、植物の成長の様子、鳥たちの鳴き声、動物たちのふるまい(とくに、ヒキガエルについての「ヒキガエル頌」というエッセイはおもしろい)、こういった自然の様子に細かく眼が行き届く人だったのだなということがわかる。となると、紅茶も好き、パブも好き、本物の暖炉も好き、イギリス料理も好き、自然観察や庭仕事も好き…ということで、なんとも典型的なイギリス人像が浮かび上がってくる。一般読者が読む新聞・雑誌に寄稿した記事だから、あんまり極端な主張はしづらいという制約はあったろうが、ジョージ・オーウェルという人が、左翼知識人というレッテルを張られているものの、実際にはかなりイギリス人気質で、伝統的・保守的な面があったことに改めて気がつかされる。

『一九八四年』への道

 上で紹介したエッセイ「ガラクタ屋」で、ジャンク・ショップにはあんなものもあるし、こんなものもあるよ、とオーウェルは紹介していくのだが、その中にこんな一文がある。

そのほかにもガラスの中に珊瑚を封じこめたものもあるが、これは例外なくべらぼうに高い。(p.92)

この「ガラスの中に珊瑚を封じこめたもの」で、あなたはピンと来るだろうか。そう、小説『一九八四年』で主人公のウィンストン・スミスが、チャリントン氏が経営するジャンク・ショップで買ったのも、珊瑚が入っているガラス玉だった。その場面はこんな具合:

「なにかね?」ウィンストンはすっかり心を奪われてしまった。
「珊瑚なんですよ。インド洋からきたものに違いありません。昔はこうして珊瑚をガラスの中にはめこんだものでしょう。出来てから少なくとも百年くらいはたっていますね。いや、もっとたっているかも知れませんね、見かけたところでは」
「美しい品だね」
「美しい品ですよ」老人〔チャンリントン氏〕はほれぼれと言った。「なんですか、近ごろはそうおっしゃる方がたいそう少なくなりました」彼は咳払いをした。「さて、もしあなたさまが欲しいとおっしゃるのでしたら、四ドルにしておきましょう。あのような品々で、八ポンドも取られたような時代をよく覚えています。八ポンドといえば――いや、どうも、うまくドルには換算できませんが、大変な金額でしたよ。…」*1

珊瑚入りのガラス玉が、ジャンク・ショップでも八ポンドもするような高価なものだったという『一九八四年』で描かれた情報は、オーウェル自身が日頃から方々のジャンク・ショップを足しげく訪問していたことに由来するということがこれでわかる。というか、そもそも『一九八四年』で、チャリントン氏の経営するこの店が、すさんだ小説内のロンドンの中でも、なんだかウィンストンが憩える場所のように描かれていることに気がつくが(この店の二階が密会の場所として使われることを除いても)、それもそのはずだろう。ジョージ・オーウェル自身がエッセイで語るくらいジャンク・ショップ好きだったのだから。

 実は、今回のエッセイ集『一杯のおいしい紅茶』を読み、一番強く感じた僕の感想は「このエッセイ集を読まずして『一九八四年』を語ることはできない」ということだった。ちょうど『一九八四年』執筆直前くらいに書かれたエッセイが多く収録されていることもあり、上に紹介した珊瑚の例のように、この衝撃的な小説のディテールが、実はエッセイにて既に語られているという例が他にもいくつかある。ウィンストンが暮らす「勝利マンションズ」は「天井や壁から漆喰が絶えず剥げ落ち、寒気が厳しくなるたびに水道は破裂するし、雪が降ればそのつど屋根から水漏れ」がする*2、と描写されているが、これは「食器洗い」という収録エッセイを読むと納得できてしまう。

いまわたしが住んでいるアパートも一部分が居住不能になっているが、これは敵の空襲のせいではなく、雪が積もったために屋根が漏って天井のしっくいが落ちてくるからなのだ。珍しい大雪が降るたびにかならずこういう災難が起きるのは、常識ということになっている。三日間は水道管まで凍ってしまって水が出なかった。これも当然のことで、ほとんど年中行事にひとしいのだ。しかも破裂した水道管の数があまり多いために、修理には一九四五年の末までかかるだろうという(p.48)

他にも、『一九八四年』ではウィンストンの隠れ家の近くで流行歌を歌っているプロレ階級の女性が登場するが、エッセイ「懐かしい流行歌」を読むと、オーウェルが世間の流行歌とかに興味を持っていたんだなあということがわかる。そういえば、小説『動物農場』でも動物たちが歌(『イギリスのけだものたち』)を斉唱する場面があったが、オーウェルは音楽、とくに歌好きだったのかもしれない。さらに、上のほうに書いたようにオーウェルはパブについても意見があったようだが、ウィンストン・スミスも党員には禁じられたパブをわざわざ訪れて、ビールを飲むことになる。

ブレイの牧師

 今回読んだエッセイ集『一杯のおいしい紅茶』のうちで、一番僕が好きなエッセイは「ブレイの牧師のための弁明」だった。ブレイの牧師(Vicar of Bray)というのは、国王が交代するたびにキリスト教の宗旨替えをして地位を保ったという俗謡があって、そこから無節操とか、日和見主義ということを表す言葉だが、オーウェルはあるとき、このブレイの牧師が実際に植えたというイチイの木に出会った。この堂々と立派に大きく育ったイチイの木を見て、このように書く。

ブレイの牧師は『タイムズ紙』に論説を書くほどの教養はあったにしても、とうてい褒められた人物ではない。だが、長い歳月をへた今のこっている彼の形見は、戯れ歌が一つと木が一本だけで、幾世代にもわたる大勢の人の目を楽しませてきたこの木の功績が、この牧師の変節がまねいたさまざまな弊害より大きいことは、まずまちがいない。(p.112-3)

悪事を働いたり、悪名が高くなったとしても、長い年月を経て、このように大勢の人々が憩うことができる木を一本でも残すことができたのなら、社会の恩人として認められるべきではないか…こういうところに気がつくのが、いかにもオーウェルだなあと思う。そして、僕がオーウェルを愛好するのも、このようなものの見かたと出会い、共感できるからだ。

*1:新庄哲夫『一九八四年』ハヤカワ文庫、p.122

*2:『一九八四年』p.31